学校の目標が、卒業する日の先に置かれています。サレジオ学院が掲げるのは「25歳の男づくり」。大学合格でも高校卒業でもなく、社会に出たころの姿を教育の目標にしているのです。
十二歳で入学する子に、二十五歳の自分を具体的に描くことはできないでしょう。しかし、早く進路を決めさせるという話ではありません。六年間で自らの「使命」を自覚し、大学で学び、やがて社会の一員として責任を果たす人になるまでを一続きに見る。中高生活を、その長い道の途中に置いているのです。
学校は、その使命の実現をそばで見守り、手助けする教育を「アシステンツァ」と説明しています。子どもの進む道を先に決めるのではなく、本人が自分の可能性を広げていくそばにいる。二十五歳という目標は、この距離の取り方ともつながっています。
さらに毎年、「25歳の集い」が開かれ、同窓生が母校に戻って、それぞれの歩みや志を分かち合います。卒業時にきれいな言葉を贈って終わるのではない。実際に二十五歳を迎えた卒業生が戻る場を持っているところに、この目標の重さがあります。
学校を見るときは、六年間で何を教えるかだけでなく、卒業後の生徒をどこまで見ているかも考えたいものです。サレジオ学院にとって六年間は完成までの時間ではありません。自分は何を担う人になるのか。その問いを持って社会へ出ていくまでの、まだ途中なのです。
